先日、生後数か月の子のお母さんからアトピー治療のご相談がありました。
でも、北陸の方らしく、通うのは困難なようでした。
近所の皮膚科に通うのも大変らしいので、うちに来るのはもっと困難です。
ではなぜうちに電話されたのでしょうか?
お母さんは電話越しでほぼ涙声になっていました。
顔も名前もわからない方ですが、震えるその声には様々な葛藤があり、悩みがあり、いろいろなものを抱えているであろうことは容易に想像できました。
どこに相談していいものか、だれにこの思いを伝えればいいのか、そういった思いが去来する中で、ネット検索でたまたま目にしたのがうちのサイトだったように思います。
そこでとにかく電話してみよう、それで電話がかかってきた、そんな印象を受けました。
うちに電話をしてくるくらいだから、ステロイドは使いたくないという意思があるわけです。
周りはステロイドを使うクリニックばかり。
だから、簡単に医者には相談できない。
自分一人で脱ステして、もし悪化したらどうしようか。
もし感染症になったらどうしようか。
・・・
本人もつらい。
それを見ている周りもきつい。
しゃべれないあとぴっこ赤ちゃんを抱えるお母さんは、その分さらにツライ。
引っ掻くというより抉(えぐ)り取るといった掻き方を見ると、悲しいのか、やめてほしい怒りなのか、複雑な思いが込み上げる。
執念で自分を傷つけるような仕草は、見ている側は本当にきついのです。
四六時中一緒にいる母はそこから逃げられないのが現状です。
もはや、この子を治したいと思っているのか、この子が早く治って、私が楽になりたいのかわからない状態になります。
・・・
母として、何をこの子にしてあげられるのが正解なのだろうか。
かゆいから悪い、のでもないのです。
ヒトが生きる理由
人はなぜ生きるのか?
種を保存するために健康である必要がある。
人が生きる理由は生存するため、種を残すため。
これに尽きるのです。
ここから外れるような状態からは逃げようとするのです。
どうにかしようと体が勝手に働きだすのです。
それが自然治癒力という働きです。
もともと生命が備えている、生き延びるためのシステムです。
このまま行ったら体はやばい。
だからかゆみを出現させ、浸出液を出すのです。
悪いからかゆいのではなく、良くしようとするためにかゆいのです。
あとぴっこは「かわいそう」ではない
だから、
引っ掻く我が子を見て「かわいそう」と思わないでほしいです。
よく頑張っている、優秀な生命体です。
そういう眼差しで見てあげてほしいです。
憐れむべき現象ではありません。
「かわいそう」
そう思うのはただの勉強不足で、言葉を選ばず言えば、生命に対して傲慢ですらあります。
勉強不足ですから、勉強して、知れば済む話です。
知れば、いかに人の体が優秀か、あなたの子供が優秀かわかるはずです。
あなたの子供という生命体が、いかに素晴らしい働きをしているのか、親として、自分はなぜこのような現象を「かわいそう」と思ってしまったのか、私がここで「傲慢だ」と強い言葉を使った意味も理解できるはずです。
アトピーの子供は「かわいそう」じゃない。生命体として、優秀です。
「かわいそう」としか思えない親や周りの人間こそがかわいそうなのです。
そうはいったものの。
そうはいうけどねぇ、、、
やっぱり「かわいそう」と思ってしまうものだし、「どうにかしてあげたい」と思うものだよねぇ。。。
それが人ってもんだし、親ってもんだと思います。
それでいいのだと思います。
だから、自分ではどうすればいいのかわからない、そんな時は、だれか頼れる人を見つけましょう。
「助けて!」って言える人、頼れる人を近くにおきましょう。
一人で抱えこむのはちょっとしんどいです。
自分一人で強くいるのは、本当にタフなことです。
お母さんはもう少し解放されてもいいと思います。
お母さんが楽になることで、赤ちゃんもよくなるのです。
北陸のお母さんも、誰か信頼できる人がみつかるといいなぁ。
ー編集後記ー
電話相談のお母さんの話を記事にしようと思ったら、「かわいそう」なんて話に変わっちゃって、結論は「近くに頼れる人を!」なんて、解決にならない記事を(-_-;)気になって、書いておかなければいけないような思いに駆られたのですよね。。。「心配だと思うけど、かわいそうじゃないし心配いらないよ」ってことを言いたいがために、話がそれたのかしら。。。「だからなんなのよ??」って思われたのでしたらごめんなさいね。。。m(__)m